時々、必要に迫られた食。


by mutsu-toru

肉を食べるということ。

午前中で仕事を終えることができたので、13時過ぎに散歩に出た。空はこの上なく晴れており、私は羽織っていたカーディガンを脱いで気持ちの良い陽光を両腕に浴びた。

スペインの「土曜の13時過ぎ」という時間は活気に溢れている。世界的にスペイン人共は「vacación-休暇-」のために生きているということが認知されているが、土曜の13時過ぎという時間帯は「vacación」をさらに細分化した時に現れる「descanso」という概念を示している。descansoとは休憩という意味だ。だが、その休憩は私が育った日本にはない感覚の休憩だ。それはどういうことなのかということを一言で言えば、「休憩のために蓄えられていた力が解放される時間、それこそが休憩である」ということだ。少なくとも私が日本にいた時、休憩と言う概念は疲労した心身を静養するということであった。だから、スペインの休憩と私が認識してきた休憩との間には違いがある。

私はそのようなスペインの休憩時間である「土曜の13時過ぎ」の街を歩いた。冒頭にも書いたように空からは強い日差しが指している。冬ですらサングラスをかける欧米人等は、もちろんサングラスをかけている。C/Mayorという古(いにしえ)の面影を残す通りは人で溢れている。町の中心P/Cervantezにはタパスの屋台が並んでいて、ビール片手に種々様々なタパスを食べる人々が大声で会話をしている。その広場に面した郵便局からはお腹がポッコリと出たおじさんが出てきて、扉に鍵をかけた。14時になったのだ。

私はそれらの光景を眺めつつ、歩き続けた。そもそも、私が散歩に出たのには目的があった。それはシャンプーを買うということである。ちょうど、昨夜で我が家のシャンプーが切れたのだった。最近、短髪にした私は、「今度はメンソレタームの効いたスースーするシャンプーを買うんだ。」と意気込んで家を出たのだった。そして空から降り注ぐ陽光があまりにも気持ちいいものだから、私はシャンプーを買いに行くことにカコつけて1時間あまりも散歩をしてしまったのだった。

私は「カリフール=元チャンピオン」というスーパーに向かった。土曜日なのできっと込んでいるだろうと思ったら、そうでもなかった。太陽が人々を外に呼び出しているのだ。買い物には金が必要だが、太陽を浴びる快楽は無料だ。人々が外に出るのは当たり前なのである。

店に着くと、私は緑色の容器に入った「ミントでシャッキリあなたの頭」というシャンプーを買い物籠に放り込んだ。そして、何の気なしに肉売り場へと向かった。

まず、私は生ハムをワンパック買い物籠に放り込んだ。その後、少し品定めをしてからステーキ用の牛肉3枚セットを同様に買い物籠に放り込んだ。

会計を済ませた私は、軽い買い物袋を片手に、そして家を出てすぐに脱いだカーディガンをもう一方の手に家まで歩いた。家に到着するまでの約15分間で、私は土曜日であるにもかかわらず「日曜日よりの使者」という歌を3度も大声で歌ってしまった。

家に着くと私は白いポロシャツを脱いで黒いTシャツに着替えた。何故なら、私はこれから肉を焼くからだ。

服を着替えた私は、これから焼く肉を除いた2枚のステーキ肉をサランラップで包んで冷凍庫にしまい、焼きあがった肉に添える野菜を用意した。レタスを半口大にちぎり、千切りにした玉ねぎをニンニク風味のビネガーオイルで揉んだ。そしてその半分を肉を盛り付ける皿によそい、残った半分には生ハムを乗せて肉を焼いている最中のつまみにした。

私は実にシンプルに肉を焼いた。熱したフライパンにバターを溶かし、そこにみじん切りにしたニンニクを加え、塩コショウを振っておいた肉を置いた。火の強さは弱だ。

私は冷蔵庫から冷やしたロゼ・ワインを取り出し、コップに注いだ。そしてCDラジカセに「Havana Café」というこれ以上ないほどに古典的なキューバ音楽のCDをセットして再生ボタンを押した。

我が家には肉がフライパンで焼かれる音、換気扇の音と陽気なキューバ音楽、窓の外から時々聞こえてくる誰かの声、そして私がサクサクとサラダを食べる音だけが響いた。

それから13分後、弱火で焼かれ続けた肉は皿に盛られた。私はそれを食卓に運び、「何故、私はこの肉を食そうと思ったのだろうか。」と自問した。だがもちろん、答えは最初からわかっていた。それは、この肉を食べるという一時が、また散歩を経てスーパーでその肉を買って食そうと思ったその時が、私にとっての「休憩」であったのだ。私は力を内在した休憩を求めていたのだ。普段、野菜ばかりを食べている私にとって、肉を食すということは、実はある程度の力を要することである。普段は野菜ばかりを食べていることで、私の肉に対する感性は研ぎ澄まされている。そういった研ぎ澄まされた感性をあえて休憩の中に取り込もうとすること、それは、挑戦的な刺激によって自分が癒されるのだということを確認することなのだ。そして、その行為は、休憩の後にすぐさま立ち上がり、全身に力を漲らせて新たな目標物に向かって走ることができるのだということを自分自身に確認することなのだ。


今回、私は友人であるToru氏とMUTSU氏、そして彼等の友人たちのためにこの文章を書いた。






WAKAMATSU
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by mutsu-toru | 2007-04-21 23:48 | Visita